■ベトナムは古代クメール文化にも通じるチャンパ王国の歴史、中国文明に影響された阮王朝、そしてフランス文化に色濃く影響されたベトナムに今回行ってみました。特に中部は以前クメール王国(カンボジア)と同様の文化を持ったチャンパ王国が存在し日本とも交易を行っていたとも言われています。

■ベトナム中部に渡るにはまずはタンソンニャット空港/ホーチミン市からべトジェット・エアー航空で一路ダナン国際空港へ1時間15分のフライトで到着。機体といいフライトアテンダントの制服といい、エアアジアと何故かそっくり! 理由はエア・アジア・ベトナム航空を創設(資本提携)する際に政治的な理由から待ったが掛かり、べトジェット・エアーで運行することとなったそうだ。

ダナンはハン川を中心に町が広がり昔はチャンパ王国交易港の中心であった。ちょっと郊外に出ればきれいなビーチが広がり最近リゾート地として注目され始めリゾートホテルなども建設され日本から直行便も飛ぶようになってきているそうです。

町の中心のコン市場に行けば生活用品を始め食料品やお土産屋などが軒を連ねていて、ちょっとした買い物には大変便利です。

『ダナン大聖堂』フランス統治時代に建てられたカトリック教会で、ピンクの外観がとてもきれい!

『五行山』ダナンからホイアンに向かって行く途中に五行山と言われる場所があり『トゥイーソン』『モックソン』『キムソン』『トーソン』『ホアソン』の五つの山からなり、大理石からできていることからマーブルマウンテンとも呼ばれている。山の頂上までエレベータで上がるとそこからの眺めは最高です。

■さてここから『ミーソン遺跡』ミーソン遺跡はチャンパ王国の聖地でクメール王国の流れをくみ、シバ神を祀る為のレンガ作りの構造物が多数作られました。

見学の中心となる遺跡。(B・Cグループ)

復旧が進んでいる。(Dグループ)

ポツンと立つ守護神、頭は盗まれたのだろうか?神の頭部は骨董闇市場では高値で取引されていると言われている。(Aグループ)

ジャングルに飲まれてしまった寺院。周りをやっと伐採し終えた感じですね。(Gグループ)

棒に支えられながらもほとんど崩れてしまっている復旧中寺院。修復現場の周りに柱などの構造物が散乱している。(Eグループ)

結構きれいに残っています。(Fグループ)

■ここから『ホイアン』ホイアンは趣のある木造家屋が立ち並び、日本を始め中国やヨーロッパ諸国の貿易商が滞在しそれに伴い各国様式の建物が構築され独自の雰囲気を醸し出しています。

『来遠橋(日本橋)』来援橋の正面は華麗な佇まいですが裏側は意外と汚いないです。橋なのですが中に入れるのですよ。

『フンフンの家(馮興家)』貿易商、中国式。

『クアンタンの家(廣勝家)』家の奥まで続く今でも住んでいる住居。まるで京都のウナギの寝床作りと一緒。

『チャン家の祠堂(陳祠堂)』

『Duc An の家』ホイアン市のツーリストガイドには載っているけどなぜか日本のガイドブックに載っていない? 室内のインテリアなんか結構いけてるのにね ♪

『ホイアンの街並み』古い街並み全体が世界遺産、高山の宿場町の情景とかぶってしまうのは自分だけだろうか?川沿いには観光案内の小舟が手招きをしているし外国人観光客もたくさんいてちょっと疲れた。

■ここからはフエ『阮朝遺跡』ベトナム最後の王朝の栄華を伝える。

『王宮門(午門)』と『フラッグタワー』

『太和殿』残念ながら内部は撮影禁止でした (ーー;)

『長生殿』ザーロン帝の母親の住居であったがベトナム戦争と盗難とで昔の面影はないといわれる。

『建中殿』健中殿の一番奥まで歩いて行くとそこには不気味な像が立っているさてなんだろう?さらに奥に行くと和平門があり阮朝王宮の裏門となる。健中殿からフラッグタワーに向かっては広大な敷地があり当時は王宮建築物があり戦争で破壊されてしまったと思うと残念でならない。

『カイディン帝陵』カイディン帝のお墓、カイディン帝の等身大像の下に遺体が安置されている。陶器の破片を使ったモザイクのような装飾がとてもきれい。

『ミンマン帝陵』ミンマン帝のお墓、お墓というか庭園のようでとにかく広い。チケット売り場の門から入りまずは位牌が置かれている建物、さらに橋を渡ってミンマン帝の眠る小高い山に到着するがここからは非公開となっている。門の隙間からのぞいてみるが特に何もなかった (-_-;)

■さて最後になりましたがベトナムと言うとまず真っ先に思いつくのが『ベトナム戦争』。すでに40年も経過しますがまだまだ戦争のギズ後が生々しく残っています。(Web作成日2015年8月)

『戦争証拠跡博物館』ベトナム戦争の歴史を実際に使用された戦車や航空機そして爆弾などを展示し戦争の傷跡を生々しく証明している。実際に行われた残虐な資料(映像)もあったのですがさすがにカメラに残すことに躊躇してしまいました。興味のある方は「北爆 枯葉剤 ベトナム戦争」で検索してみてください。

『統一会堂』南ベトナム時代の旧大統領官邸。地下には大統領軍事司令施設や屋上にはヘリポートまである。1975年4月30日に南ベトナム解放軍の戦車がこの官邸の鉄柵を戦車で突破して無血入城してベトナム戦争が終結した場所。

『ハイヴァン峠』フエとダナンの間にある山岳軍事拠点。塹壕の壁にはまだまだ無数の銃撃戦の弾の跡がしっかりと残っています。

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