■富岡製糸場は明治5年(1872年)、明治政府が日本の近代化のために最初に設置した生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成するため、洋式の繰糸器械を備えた模範工場です。

■高崎から上信電鉄に乗り換え上州富岡駅でおります。とてもきれいで広々とした駅です。

■上州富岡駅から歩いて15分ぐらいで到着、まず目に飛び込んでくるのは「東置繭所(ひがしおきまゆじょ)」です。1階は事務所、2階は乾燥させた眉を保存していました。建物は木の骨組みに壁に煉瓦を積み入れて造る「木骨煉瓦造」で建てられ、煉瓦という西洋の新しい材料を取り入れながら屋根は伝統的な日本瓦で葺くなど日本と西洋の建築技術を見事に融合して建てられました。

■「操糸場」は繭から生糸を取る作業が行われていました。約 140m もある工場で、創業当初はフランスから輸入した 300釜のフランス式繰糸器が設置され、当時世界最大規模を誇っていました。今見てもちょっと手入れすれば動くのではないかと思うようです。

■首長館(ブリュナ館)製糸場の建設指導者としてフランス人のポール・ブリュナが雇われブリュナ館はブリュナと家族が暮らした建物です。また床下には当時作られた煉瓦造りの地下室が残っているそうですが未公開部分の為、見学することはできませんでした。その後は工女のための寮や学習や娯楽の場として使用されたそうです。

■「検査人館」生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居として建設され、後に改修され1階は事務所として、2階は皇族や政府役人の貴賓室があります。こちらも外観見学のみとなっており内部の見学はできませんでした。

■「女工館」日本人工女に糸取りの技術を教えるためのフランス人女性教師の住居として建設されました。こちらも外観見学のみとなっており内部の見学はできませんでした。

■「乾燥所」生糸の原料となる繭を乾燥させた建物でしたが、平成26年2月14~15日の大雪で大破して見学どころではありませんです。

■「西置繭所(にしおきまゆじょ)」シートが掛かっていて現在保存修理工事中で見学できません。

■「寄宿舎」工女の寄宿舎です、こちらも現在保存修理工事中で見学できません。

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