■読谷村のほぼ中央にある座喜味城跡(ざきみじょうあと)は、15世紀初期に築城家として名手だったといわれる護佐丸(ごさまる)によって築かれたと伝えられており、石垣のアーチ門や城壁の曲線が美しいです。

■座喜味部落北側の小高い丘、標高120m余の台地にある美しい城壁とアーチ型の石門は座喜味城が最初に取り入れた工法で、城門のアーチには楔石(くさびいし)というものを用いているそうです。

■門をくぐり二の郭に入ると、先の方に一の郭の入口が見えます。座喜味城の特徴の一つとして、直線でない曲線でまとめあげられている城壁があげられます。また、敵軍を袋小路に追い込むことを想定してつくられた「武者隠し」など、戦いのための機能を駆使して構築された軍事要塞であることも特徴だそうです。

■一の郭の門をくぐると正面に正殿跡を見ることができます。城壁上から西側を見れば残波岬や、晴天には慶良間諸島なども望むことができます。北の方角を見ると本部半島、南には那覇方面までが一望できます。

■勝連城は沖縄県うるま市にあった城(グスク)で、12~13世紀ごろに勝連按司(かつれんあじ)によって築かれた。

■自然の断崖を利用した難攻不落の城と言われる勝連城ですが、その城壁は優雅な曲線を描き、女性的な美しさを感じさせます。頂上に登ると太平洋に輝く青い海が一望できる沖縄有数の景勝地です。

■首里城正殿のような柱の多い構造で、礎石のあるしっかりとした造りであったことが分かっており、「瓦葺きの建物であった」という説もあり勝連城の城郭内で最も重要な建物であったと考えられています。

■標高約100m、勝連城内で最も高い位置に築かれた曲輪です。周囲360度見渡すことができ、周辺離島や本島北部の山々、南部の知念半島まで望むことができます。さらに、宿敵・護佐丸の居城である 中城城も確認することができ、眺望の美しさだけでなく、軍事要塞としての特徴も備わっていました。

■城壁の石は道路工事の石材などとして持ち去られてきたが、現在は復元工事により往時の姿を取り戻しつつある。

>戻る
inserted by FC2 system